すべては神から出ること

キリストに結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって・・・

新約聖書『コリントの信徒への手紙2』5章17-18節

 ヤソ教はアーメン道(ああ面倒)の宗旨なり?

 「ヤソ教はアーメン道(ああ面倒)の、宗旨なり」と皮肉った人がいます。面白いことをいうなあと感心してしまいました。クリスチャンになったらあれをしちゃいけない、これをしちゃいけないと言われる。理屈はごもっともだが「難しい、堅苦しい、つまらない」の三拍子揃った「アーメン道(ああ面倒)」の宗旨がキリスト教だというのです。

 歯を食いしばって頑張らなくてもいい

 なぜこのように言われてしまうのでしょうか。それは「新しく生まれる」ということに対する勘違いから来るのではないかと思います。誰の心にも人生をやり直したい、心を一新したいという願いがあることでしょう。特に新年を迎えた時はそうです。「今年こそは・・・」と思わない人がいるでしょうか。

 そのような人にとって、「新しい命」を伝えるキリスト教はうってつけの宗教のはずです。しかし、問題は新しく生きるためには、自分を変えなくてはいけないと思っていることにあるのです。酒たばこをやめるとか、贅沢をやめるとか、今までしたこともないような善行をするとか、そういうことを歯を食いしばって断行しなければ、自分が新しくならないと思ってしまう。だから、キリスト教は、「ああ面倒の宗旨なり」となってしまうわけです。

 このような勘違いは私たちのクリスチャンの中にもあります。新約聖書の中にもそのようなクリスチャンがいて、パウロは「霊によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。あれほどことを体験したのは無駄だったのですか」と言っています。

 イエス様が私たちを新しくしてくださる

 「あれほどの体験」とは何でしょうか。これこそ重要なことです。イエス様を信じるならば、イエス様の御霊が心のうちに与えられて、無理して自分を変えようとしなくても、内側から、無理なく、自然に自分が変えられていくという体験のことなのです。人は自分を変えることはできませんが、イエス様は私たちを変えてくださる。これが喜びに満ちた、希望に満ちた、素晴らしいキリスト教なのです。
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