祝福を受け取る信仰

我々が見た民はみな巨人だった。…我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたに違いない。

旧約聖書『民数記』13章32-33節

 神の贈り物を受けとるには信仰が必要

 神様が与えて下さると約束された祝福は、必ず私たちに贈り物として与えられます。私たちはそれを受け取れば良いのです。しかし、そこに一つの法則があります。神様からの贈り物を受け取るには、信仰が必要だということです。信仰がなければ、それを受け取ることができないのです。

 約束の地は、彼らの目前にあり、99パーセント、彼らのものでした。しかし、信仰がなかったために、モーセに率いられてきたイスラエルの民は、この乳と蜜の流れる約束の地を受け取り損ねました。決して、巨人がいたからではありません。自分が小さかったからではありません。不可能だったからではありません。信仰がなかったからなのです。

 絶望という巨人を恐れるな

 巨人とは、神様の贈り物を受け取らせまいと、私たちの前に立ちはだかる困難を象徴するものです。たとえば、祈りが聞かれる前に、なかなか聞かれないという絶望の巨人が立ちはだかる時があります。祝福を手にするために、まず大きな犠牲が支払わなければならないという試練の巨人が立ちはだかる時があります。天国に入る前に、大きな苦難という巨人が立ちはだかる時があります。このような巨人を前にしても、私たちは神様を信じ、約束を信じ、約束のものを手に入れようと進み続けなければなりません。それが信仰なのです。

 巨人を前にしても、「断然上っていくべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます」と言ったカレブとヨシュアだけが、約束の地に入ることができました。

 自分が小さくても、困難が大きくても、このような信仰を持ち続ける者は、必ず神様の贈り物を受け取ることができます。しかし、信仰を失うならば、目前に差し出されている素晴らしい祝福さえ失ってしまうのです。

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