■ 無心する祈り
寮生活をしていた貧乏学生時代、母に電話をすると言ったら、ほんとんどが困り果てた末の無心だったように思います。
実は、神様にお祈りする時も、これとほとんど変わりありませんでした。あれをください、これをくださいと無心ばかりの私の祈りに、恵み深い神様は、文句も言わず応えてくださっていたのです。
■ 神ご自身を求める祈り
しかし、ある時、私と神様とのこのような関係が、大きく変わったのです。私に一つの苦悩がありました。その苦悩によって、私は、あれやこれやの必要ではなく、神様御自身を求めるようになったのです。「母をたずねて三千里」じゃありませんけれども、クリスチャンになって何年もしてから、ようやく神様御自身を見いだすための求道の祈りを始めたわけです。
■ 神に満たされる
そして、ついに神様を見いだした時、それだけで、私のあらゆる問題が完全に解決されてしまいました。「ここに神様がいてくださる」という生き生きとしたご臨在感を得るだけで、他のなにものによっても得ることができないだろう幸福感、満足感、平和を得ることができたのです。私が貧乏学生であり、罪深い人間であるということは以前と少しも変わりませんでしたけれど…。
信仰者の祈りは、結局、神様御自身を得るまで満たされることはありません。神様を見いだし、神様のご臨在の中に入ることこそが、本当の祈りの答えなのです。
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