驚くべき救い

 わたしたちを愛し、ご自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように。

新約聖書『ヨハネの黙示録』1章5-6節

 ある人が、まったくうんざりだという顔をして、牧師にこう言いました。
 
 「教会に行く必要なんかないんです。聖書を読む必要もありません。教会が教えていること、聖書に書いてあることなら、何でもちゃんと分かっていますからね。要するに、正しいことをなせ。そうすれば何者も恐れることはないということでしょう?」
 
 牧師はこう答えました。
 
 「そんなことを言うためなら、聖書も、イエス・キリストも、神もいりません。各人が独り言を言えばいいのですから。しかし、独り言を語る者の顔には、ちょうどあなたのように、喜ばしげな笑みが浮かんでいたためしがありません。
 あなたも聞いたことがあるでしょう。それとは知らずに凍結した湖を、夜、馬で横断した人の話を。向こう岸について、自分がどういう所を通ってきたかを聞かされたとき、彼は恐怖に駆られて腰を抜かしてしまいました。
 天が開け、地の上が光に照り輝き、『あなた方は恵みによって救われたのだ』という御声を聞くとき、これがあなたの置かれている状況なのです。そのような瞬間、私たちは愕然としておののく、かの騎馬の旅人にひとしいのです。このみ言葉を聞くとき、私たちは思わず振り返って叫ぶでしょう。
  『あのように深い湖を渡るなんて、死と向かい合っていたようなものだ。そんな愚かしいことを試みたなんて! すんでのことで死ぬところだったに、奇跡的に死を免れたのだ。』」
 
 この話のように、私たちもよく理解しなければなりません。もしイエス様がいらっしゃらなかったら、私たちは湖の底、地の底、永遠の暗闇の中に落ちてしまっていたのだということを。イエス様の十字架によって救われるということは、どんなに奇跡的な救いなのか、驚くべき事なのかということを。十字架とは、それを思い起こす度に興奮して話さずにはおれない出来事なのだということを。

 私たちは、そのような不思議に驚き、心を打たれながら、イエス様の十字架を驚嘆の思いをもって仰ぐ者になりたいのです。

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