神の光を見る

 体のともし火は目である。目が澄んでいれば、全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。

新約聖書『マタイによる福音書』6章22-23節

人は目をみれば分かる

 イエス様は「人は目を見れば分かる」と言われています。確かに喜びに満ちている人の目はいつも輝いています。逆に、心が荒んでいれば目つきが悪くなります。目の印象は、体全体の印象になるのです。

■ 目は光を感じるもの

 けれども、注意してください。心が喜びに満ちていると、目が輝くのではありません。目の働きは、光を見ることにあります。目が光り輝く喜びを見ていると、心に喜びが溢れるのです。

 神様は希望を失い、天幕の中に閉じこもっていたアブラハムを外に連れ出し、「目を上げて、空の星を見なさい」と言われました。アブラハムは、暗闇の中にちりばめられている数え切れないほど多くの小さな光を見ました。その光が失望した心に再び灯りをともす心の光となり、アブラハムは主を信じたのです。

■ あなたの目は光を見ているか

 報復戦争、貧困、失業、倒産、幼児虐待、放火…私たちは毎日、世の暗さを見聞きしています。しかし、まったく光はないのでしょうか。いいえ、イエス・キリストは今も世の光として輝いて下さっています。その光は、アブラハムが見た夜空のように暗闇の中にある無数の星のようにちりばめられているのです。

■ 澄んだ目を持とう

 しかし、世の宝や誉れを追い求めている目にはそれが見えません。自分の内面ばかりに目を向けている人もそれを見ることができません。人の悪い行いを批判ばかりしている人もそれを見ることはできません。そのような目は、神の光を見るには濁っているからです。光を感じることができず、全身が闇に包まれています。

 澄んだ目は素直な目です。また、信頼する目です。澄んだ目は、いつも素直に、信頼をもって神様を仰ぎます。そして、暗闇の中にちりばめられている神様の光を感じとるでしょう。

 私たちも、いつも光を見て喜ぶ目を持ちたいものです。澄んだ目は、私たちの心を明るく照らし、私たちの全身を喜びと感謝で輝かすことができるでしょう。

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