■ 神の目は低き者に向かう
宗教改革者ルターが、確かこのようなことを言っていました。「神さまは大いなる御方で、ご自分の上に何も存在しないので、上を見上げるわけにはいかない。御自分に方を並べる者もいないので、横を見るわけにも行かない。だから、神さまの御目は、御自分と御自分の下にいます低き者たちの注がれているだ。」(『マリアの讃歌』)
■ 背伸びしたがる人間
神様とは逆に、人間は背伸びをしたがります。そのために人を見下したり、並ぶ者を蹴落とそうとしたりするのです。これは、並ぶものなき至高にいます神様とは違って、人間がいかに低く貧しいところにひしめき合っているかということを物語っているのではないでしょうか。
聖書には、このように少しでも人の上に立って自分を誇ろうとする人間を、神様は天の王座であざ笑っていると書いてあるところもあります(詩編2編)。私たちは自分を誇ることはできません。どんな人間でも、自分を誇るならば神様にあざ笑われる人間に成り下がってしまうのです。
■ 主を誇ろう
しかし、誇りのない卑屈な人間になる必要もありません。「誇る者は主を誇れ」と言われています。自分の知恵や富を誇ることは愚かなことですが、神様については大いに誇ることができるのです。
神様は造り主です。救い主です。恵み深き父です。主の主、王の王です。神様についてはどんなことでも誇りに思いましょう。神様は、神の民、神の子供たちとされた私たちの誇りなのです。
「誇る者は主を誇れ」
私たちの主を誇りましょう。主に関することならどんなことで誇りましょう。主が私たちにしてくださったすべての事を誇りましょう。私たちの主は、何についても比ぶべきもののない全てに関して大いなるお方なのです。
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