ままならぬ人生

主はこう言われる。上って行くな。あなたたちの兄弟イスラエルの人々に戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ。

『列王記上』12章24節

 ままならぬ人生

 ある人が、人間は自然の子であり、また社会の子であると言っていました。確かに命は自然の恵みの中で育まれ、生活は社会秩序の中で守られています。

 しかし、それだけでしょうか? 自然の猛威、社会の歪みによって、人生が翻弄されてしまうことも少なくないのです。築きあげてきたものを一瞬に失ってしまったり、夢に向かう道に大きな障壁が立ちはだかったり、意のままにならないもの、ジタバタしてもはじまらないもの、どうにもならないものが、人生にはたびたび起こります。

 命を運ぶ神の御手

 そのような現実に翻弄され、動揺する私たちに、神様はこうおっしゃっておられます。「このように計らったのは、わたしだ」と。私たちの願いや思いを越えた神さまの計らいが、私たちの人生には与えられているのです。

 それは運命と言ってもいいかもしれません。運命とは、命を運ぶものです。人間は自然の子、社会の子である前に、神の子です。神さまが創造し、神さまが愛し給う存在です。その愛なる神さまが、御計らいをもって私たちの命を運んでくださっているのです。だから、「戦いを挑むな」とも、神さまは言われるのです。

 ラインホルド・ニーバーの有名な祈りがあります。

 「神よ、変えることのできないものを受けいれる潔さ、変えることのできるものを変える勇気、そして両者の違いを見分ける知恵を、私たちにお与えください。」 
 御心をなし給えと祈る人生

 意のままにならないもの、ジタバタしてもはじまらないもの、どうにもならないものが、人生に起こったとき、それは神さまが私たちの人生のすべてになろうとしてくださっているときなのです。

 それは、ある意味ではすばらしいことではありませんか。その時、私たちの人生は、私たちの手の中にないかもしれません。しかし、愛なる神さまの御手の中にあり、神さまが御自ら運んでくださっているのです。

 だから、イエス様が教えてくださったように「御名をあがめさせ給え」、「御心をなし給え」、「御国を来たらせたまえ」と祈りつつ、神さまの御手に私たちの人生を委ねようではありませんか。

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