■ 絶望的状況
ペトロもまた捕らえられ、二重、三重の監視の下、牢に閉じこめられました。彼は四六時中二本の鎖に繋がれ、そのすぐ脇では二人の兵士が鋭い眼光で彼を見張っていました。そして、明日にも公開処刑されるために民衆の前に引き出されようとしている、そんな夜のことです。厳重な監視だけでも絶望的な状況なのですが、チャンスが訪れる時間すらもない。一巻の終わり、そんな夜です。
■ 眠るペトロ
ペトロはすやすやと眠っていました。
私たちは、ちょっと嫌なことがあったり、心配事があったりすると、もう心が騒いで眠れなくなります。それが重症になると不眠症にもなります。
ところがペトロは、明日は確実に殺されるという日に、まるで何事もないかのように眠っているのです。そんな場所で、そんな時に安眠することができる。これは本当に不思議なことです。
■ 主の賜る平安
しかし、これぞ、イエス様が私達に与えてくださる平安なのです。十字架におかかりになる前夜、「わが平安を汝らに遺す」(『ヨハネによる福音書』14章27節)と、イエス様は私たちに約束してくださいました。
イエス様の平安とは何か? それは神の子だけがもつことができる平安です。神の子は、この世のどんな力よりも強い神様の愛に守られています。父なる神の愛は、どんなことがあっても揺らぐことがありません。御父に愛されている! それを信じることができるということが、神の子のもつ平安なのです。
そのような平安を、私たちも持つことができます。なぜなら、イエス様の十字架の愛が、罪深き私たちをも神の子らとしてくださり、「アッバ、父よ」と祈れる者としてくださったからです。
■ 十字架の愛から平安が訪れる
私達が日々、恐れたり、心騒がせたりするのは、御父の愛うちに身を横たえていないからでに違いありません。
十字架の愛を信じましょう。愛される値打ちもないような私たちを、それで愛してくださるのが十字架の愛です。そのような確かな愛で、私たちもまた神の子どもらにされました。
それを信じることができれば、もう一巻の終わりというような時にもなお、私は御父に愛されているのだと信じ、すべてを御父に委ねて、安んじることができるのです。
|