■ 深刻なトラブル発生!
パイロットが乗客に告げた。
「まことに残念ながら、この飛行機はただいま深刻なトラブルに直面しています。もはや神だけが私たちを救うことができます。」
乗客がたまたま隣りにいた牧師に尋ねた。
「いま、パイロットはなんて言ったのですか」
牧師は答えた。
「絶望的な状況です、と」
これは笑い話しです。私もこれを読んでクスッとしてしまいました。けれども、笑ってばかりもいられないお話しでもあります。
■ 絶望的な状況?
確かに「神だけが救える」という状況は、人間的などんな努力も、知力も役に立たなくなってしまう絶望的状況には違いありません。しかし、だからといって、それを「絶望的な状況です」と解釈してしまうならば、もはや牧師とは言えないでしょう。そんな牧師の説教を聞かされている教会の人たちは真に気の毒なことだ・・・と、そんなことまで想像してしまいます。
牧師ならば、どんなときにも「神」という大いなる希望があるのだということを語って欲しかったと思うのです。たとえば、「まだ望みがあります」とか「神に祈れ」という具合に・・・。
■ 人間的な希望がすべて奪われても
この牧師でなくとも、あきらめ感を滲ませながら「もう祈るほかない」と言うクリスチャンがいます。人間的な希望がすべて奪われても、なお神に望みを置くことができる、それがクリスチャンの特権ではないのでしょうか。
少年ダビデは、「主は救いを賜るのに剣や槍を必要としない」と言って、いつもの羊飼いの姿のままで、完全武装した巨人ゴリアトに向かっていきました。神に希望を持つならば、私たちに何できるか、何をもっているか、そういうことはたいした問題ではありません。大切なことは、神に何ができるか、神が何をしてくださるのか、ということなのです。
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