■ 神の恵みが見えない人は絶望する
神様を信じない人は、自分で経験したことや、自分で到達した考えしか信じようとしません。だから、神様を信じることによってのみ持つことが出来るような、罪の赦しとか、無償の愛とか、悔い改めとか、新生の喜びとか、絶望しない希望とか、苦しみの中の感謝とか、このようなものをも信じることができないのです。
エリシャのしもべは、もちろん未信者だったわけではありません。しかし、敵の軍隊が自分の町を完全に包囲してしまっているのを見たとき、自分の見たことしか信じようとせず、深い恐怖と、絶望に襲われました。
■ 目は開かれているか
ところがエリシャは違いました。「恐れるな。私たちには彼らにまさる味方がいる」と言います。そして、「彼の目を開いて下さい」と主に祈ると、しもべも「火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た」というのです。
神の恵みは、神様を信じることなしには、認めることも、経験することもできないのです。信仰によって見る目が必要です。洗礼を受けているかどうかという問題ではありません。本当に生ける神様を信じているかどうかということこそ大切なのです。
私たちの目は開かれているでしょうか。イエス様が与えて下さった新しい約束を、心の目を開いて見ているでしょうか。神様の絶大なることなさる御力を、聖霊様の私たちを新しくする御働きを、目を開いて見ているでしょうか。
もし、まだそれを見ていないならば、私たちに与えられている力や、愛や、賜物がどんなにすばらしいものか見せていただけるように、主に祈りましょう。神様を信じるならば、それを祈らずして、諦めたり、絶望したり、不信感に陥ってしまってはいけません。
|