■ なぜ、祈りは聞かれないのか
パウロは、自分の病のことについて一生懸命に祈りました。しかし、主はパウロを癒されませんでした。「わたしの恵みはあなたに満ちている」この御言葉をもって、主はお答えになったのです。どういうことでしょうか? 「これ以上の幸せを望むな」ということなのでしょうか。
■ 主の御心
こんな話を読んだことがあります・・・
ある朝、主が庭に入ってみると、主が植え、手塩にかけて育てられた草木たちが、今にも枯れそうにしおれているのを見ました。主は、そのわけを尋ねました。すると、ツツジは「私は松のようにもっと背が高くなりたいと悩んでいるのだ」と、元気なく答えました。松の木は、松の木で、「私は葡萄のように甘い実を結びたいのだ」と悲しんでいました。葡萄の木もまた「私は、杉のようにもっとまっすぐに立ちたいのだ」と不満をもらしていました。主の庭のすべてが、そんな有様だったのです。
最後に主は、路肩で小さな花をつけているスミレをみつけました。このスミレだけは不思議に元気よく、輝いて花を咲かせているのでした。主はうれしなって、スミレに話しかけました。「ヤァ、スミレ、お前だけは元気でいてくれてうれしいよ」スミレは答えました。「ハイ、主よ。私は取るに足らぬ小さな花ですけれど、もしあなたがツツジや、松や、葡萄や、杉が欲しければ、それをお植えになったでしょう。しかし、あなたは小さなスミレの花を見たくて、私を植えて下さり、そのために最上のお世話をしてくださっていますから、わたしは最上のスミレになる決意でいるのです」
■ 弱さの中に満ちている恵み
主はあなたが、あなたとして生きるために十分な恵みを与えおられます。だから、主の庭に咲くこのスミレのように、輝いて生きたいと願うのです。
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