■ 神様の目的
まったく運命のいたずらとしか言いようのない道をたどって、ヨセフは牢につながれていました。しかし、それは決して運命のいたずらなどではなく、神さまがイスラエルの救いという大いなる目的をもってヨセフを選び導かれた結果だったのです。
■ ヨセフの信仰
しかし、ヨセフは、そのような神の目的など知る由もありません。それにも関わらず、彼は不平を言うわけでもなく、自分の人生を神さまに委ねきっていたことは本当に驚くべきことです。彼は、不当な仕打ちであるにも関わらず、喜んで良き囚人となり、そればかりか、他の囚人や看守に仕えたのです!
彼が、そのように出来たのは、どこにいても、神さまから注がれている愛には変わりがないことを信じ切っていたからです。神は愛なり! たとえそれ以上のことは何ひとつ分からないとしても、神さまの愛を信じ、愛に期待し、愛に身を任せる。それが不平一つ言わず、良き囚人となったヨセフの信仰だったのです。
■ 神は愛なり
私たちの人生にも、神さまのお考えを知ることができないような時がままあります。しかし、どんな時でも、どこにいても、私たちに対する神さまの御心は愛です。それ以外にないのです。神さまはあなたを愛しておられます。たとえあなたがどんなに不自由な境遇におかれることがあろうとも、それは神さまの愛の現れなのです。
神さまは、御自分の愛に背いて行動なさることはありません。神さまがあなたに願うことは、どんなことからも神さまの愛をくみ取り、受け取ることなのです。
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