■ サウルの凄絶な最期
サウルはペリシテ軍との戦いで凄絶哀絶なる死を遂げました。まるで武蔵坊弁慶のように全身に矢を浴びて、最期は敵の手にかかって死ぬよりはと自ら剣を取り、その上に倒れ伏して自決したのでした。
同じ日、ヨナタンをはじめサウルの息子たちも戦死しました。ペリシテ軍は彼らの遺体を見つけると、サウルの首を切り落とし、武具を奪い、遺体を城壁につるしてさらしものにしたとあります。いったんは神様に選ばれつつも、最後には見捨てられてしまい、惨めな死を遂げたサウルに、深い恐れを抱かない者がありましょうか。
■ サウルの葬り
ところが、そのような私たちの思いを慰める話もあります。ギレアドのヤベシュの住民は、サウルの死を聞くと、夜通し歩き続け、城壁につるされていたサウルの遺体を取り下ろし、ヤベシュに持ち帰って心を込めて葬るのであります。
ヤベシュの住民は、かつてアンモン人に包囲され、たいへんな侮辱と危機を経験しました。その時、サウルが彼らの泣き声を聞いてかけつけ、アンモン人をうち破り、彼らを救ってくれたのです。彼らはその恩を決して忘れなかったのです(サムエル記上11章)。
■ 神の慰め
考えてみれば、サウルとて悪いことばかりをしてきたわけではありません。彼もまたイスラエルの王として勇気をもって戦い、民を守ってきたのでした。
ヤベシュの人たちがサウルを丁寧に埋葬してくれたことは、主の慰めと受け取っても良いのではないでしょうか。イエス様は、「わたしの弟子に一杯の水を飲ませてくれた人を、わたしは決して忘れない」と仰いました。かつてサウルがわずかに神を喜ばせたことを、神様もまた決して忘れ給うことはなかったに違いないのです。ここに慰めがあります。
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