■ 親友との再会
サウルの子ヨナタンを覚えておられるでしょうか。ヨナタンは、ダビデと固い友情をかわしながら、父サウルの思惑によって敵味方に分かれさせられてしまいました。そのヨナタンが、敵味方の立場を越えて、ダビデを励ましに来ました。ダビデはこの再会をどんなに喜んだことでしょうか。
■ 友の励まし
私も友人からの一本の電話で、失望から立ち直るきっかけを得たという経験があります。友人がどんな言葉で励ましてくれたかは忘れましたが、友人の声は神様への信頼と安心に満ちた静かで暖かな声で、それが私の心の中にもじんわりと伝わってくるのを感じたのでした。
友人は、私のために祈ることを約束してくれました。不思議なことに、電話を切った後、私の魂は神様への信頼を取り戻しており、平安に満たされていました。そして、失望していた時とはうって変わって、確信に満ちた祈りをお捧げすることができたのです。
使徒パウロは、その手紙の中で、互いに励まし合うことの必要を繰り返し語っております。信仰生活には励まし合うことができる友が大切なのです。
■ 共に祈る
しかし、どうやって励まし合うのでしょうか。本当に心が弱っている人には、「頑張れ!」との言葉は心の重荷にしかならないと言います。叱咤激励することが励ましになるとは限らないのです。
ヨナタンは「神に頼るようにとダビデを励ました」とあります。パウロもまた、信仰によって、み言葉によって励まし合いなさいと言っています。そして、イエス様は「二人が心を合わせて祈るならば、必ず聞かれる」と約束して下さいました。信仰者が励まし合うとは、信仰の弱きを補い合いながら、共に神様を見上げて祈ることなのです。これにまさる励ましはありません。
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