■ 平和から戦いへ
ダビデにとってアドラムの洞窟は、主の慰めと励ましに満ちた隠れ家、主のみ翼の陰でありました(詩編57編)。そこでダビデは慰めと新しい力、すなわち家族との再会と400人の仲間を得たのです。いつまでもそこにいたいというのがダビデの心情であったかもしれません。
しかし、いつまでのこの平和に留まっているというのは、主の御心ではありませんでした。神様はダビデの人生をもっと高いところに導かれるおつもりです。それで、神様は預言者ガトを遣わして、ダビデにこう言わせたのです。
「要害に留まらず、ユダの地に行きなさい」
■ そうは問屋がおろさない
要害を離れることには不安があったと思います。しかし、ダビデは信じ、従い、主の言葉の示されるままに要害を後にし、ハレトの森に移ります。主に従うのだからすべてはうまくいくはず・・・でした。
しかし、そうは問屋おろしません。逆に事態はますます混乱してくるかのように見えます。この時の移動で、ダビデの所在がサウルに伝わってしまいます。サウルの憎しみは激しく燃え上がり、何もしらないままダビデを助けた祭司アヒメレクにまでそれが向けられ、たいへんな悲劇が繰り広げられます。
■ 御言葉に従う勇気
「ユダの地に行きなさい」
ユダの地はダビデが王になる場所です。御言葉は神様のご計画がそこに向かって進んでいることを示していたのでした。しかし、御言葉に従って進もうとすると事態が混乱してくるのです。
それにも関わらず、神様の御心は確実に進められているのだというのが聖書の教えるところなのです。御言葉に従うためには、目先の事態にあわてふためくのではなく、神様が最後に成し遂げられることをしっかりと信じることが必要です。それが聖書が教える勇気です。
■ 母マリアもまた・・・
母マリアはこの勇気をもって天使ガブリエルの御言葉を受け入れました。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」
この母マリアの御言葉を受け入れる勇気があってこそ、イエス様がお生まれになったのです。このマリアをエリサベトはこのように祝福しました。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
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