■ 思い通りにならぬ人の道
「人生が何でも思い通りにいったらいいのにな」と願わない人はないでしょう。しかし、そうは問屋が下ろしません。いいえ、問屋ではなく、神様がそうしてくださらないことがあるのです。
■ それぞれの道を行くダビデとヨナタン
ダビデとヨナタンの場合もそうでした。二人は深い友情で結ばれていたのですから、どんな時でも側にいて助け合いたかったでありましょう。しかし、それはかないませんでした。二人は月のない真っ暗な夜、誰もいない野原で密会し、涙でぐしゃぐしゃになりながら、別れの言葉を交わすのです。そして、「ダビデは立ち去り、ヨナタンは町に戻った」と聖書にかかれています。二人は別々の道を歩き始めたのでした。
■ すべての道で主を認めよ
このように、人間の生活は思い通りになりません。しかし、だから駄目だというのではなく、思い通りにならぬ事の中にも何か意味があり、神様によって与えられた自分の道があるのではないでしょうか。
「すべての道で主を認めよ」(箴言3:6)との御言葉があります。自分の願いを通すことよりも、もっと大切なことが、ここにあるのです。それは神様の御心が、私たちの人生の中で行われていくことです。
■ 祝福し合って、それぞれの道を行く
ダビデとヨナタンは涙をもって別れたものの、決してくよくよしていたわけでありませんでした。二人は別れ際に「わたしとあなたの間にはとこしえに主がおられる」と誓い合います。それぞれの道に神様のご計画があることを信じ、祝福し合って別れたのです。
■ 別れても変わらない友情
23章には、ダビデとヨナタンが束の間の再会を果たします。この時もヨナタンは「神に頼るようにダビデを励ました」(23:16)と書かれています。すべての道に神様を認めて生きる二人であったからこそ、それぞれの道を行くとも、二人の信仰と友情はいつまでも変わることがなかったのです。
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