■ ダビデとヨナタンの友情
ダビデとヨナタンは深い友情で結ばれました。気の合う友達と過ごす時間は楽しいものです。力を合わせて何かをしているという幸せもありますし、何もしていなくても一緒にいる幸せを感じる時もあります。しかし、友達というのはそれだけのことでしょうか。本当の友達であったなら、楽しくない時も一緒に過ごすことができるはずです。
ダビデとヨナタンは、魂と魂が結ばれた友達でした。気持ちだけならあっけなく壊れてしまうときもあるのです。ましてダビデとヨナタンのように特殊な事情がある場合は、感覚的な気持ちというのは、あまり頼りにならないものだったと思います。というのは、二人の利害関係はまったく相反するものだったからです。
■ 悲劇的な二人の関係
それは悲劇的ですらあります。ダビデの命を執拗に狙い続けるサウル王は、ヨナタンの敬愛する父親でありました。また、神に選ばれた人であるダビデは、本来ならサウルの後を嗣ぐ王子ヨナタンを押しのけて、新しい王になるはずでした。このように敵対し合う運命にありながら、二人が助け合う友となるということは、必ずその友情の故に気持ちが苦しむことを意味していたのです。
■ 魂の結びつき
しかし、どんなに気持ちが苦しみ悩んでも、それをものともしない深い友情が二人を結びつけたのでした。気持ち(苦しみ)をぶつけ合うのではなく、お互いの気持ち(苦しみ)を考え合うことができる。それが魂の次元で愛するという事であり、また自分のことのように愛するという事ではないでしょうか。
前回、嫉妬に狂ったサウルは人を愛せないから苦しんだと言いました。今回は、人を心から愛せるということは、たとえ苦しみが深くても、本当の幸せを持つ人だと申し上げたいと思います。
|