■ ダビデに嫉妬するサウル王
サウルは、ダビデへの嫉妬にかられていました。彼が神様から愛されることが憎らしかったのです。それに娘ミカルが彼を愛したり、人々が彼を敬愛の目で見ることがしゃくでたまらなかったのです。
■ 嫉妬は惨め
嫉妬はみっともないものです。嫉妬にかられたサウルの行動は常軌を逸していました。竪琴を弾いているダビデに槍を投げつけたり、ペリシテ人の手にかけて殺そうと目論んだり、ダビデ暗殺を命じたりしました。嫉妬によって、サウルは自分の醜さや惨めさを衆人にさらけ出してしまったのです。
嫉妬にかられる人は、自分本来の生き方が出来ていない人ではないでしょうか。人からどう思われるか、どう言われるかということを気にし過ぎるために、たえず自分の生き方に不安や恐れがつきまとうのです。それが惨めなのです。
もう一つは、人を素直に愛せないのです。人を愛せないことほど淋しく、孤独な人生はありません。それが惨めなのです。
■ 嫉妬は苦しみ
悲しいかな、この醜く、惨めな心は、誰の心にもこびりついています。そして、自らこれに苦しんでいるです。聖書も、サウルの嫉妬心は悪霊の仕業だと言っています。彼自身がこの嫉妬心のゆえに苦しんでいた事を示唆しているのです。
誰も、この惨めなサウルを簡単に非難することはできません。使徒パウロですら、自分の醜い心に苦しみながら「私は何と惨めな人間なのでしょう!」と叫んだのでした。私たちにしてみれば言わずもがなです。
私たちに出来る事は、この惨めさをもったままの姿で、キリストの憐れみにすがる事だけです。しかし、キリストに感謝します。そこにこそ、この惨めさから救われる確かな道があるからです。
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