ダビデ、油注がれる@ 主は心をみる

 人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。

旧約聖書 『サムエル記上』 16章7節

 新しい王の選び

 エッサイ家の息子たちの中に、新しい王として神様がお選びになった人がいると、サムエルはお告げを受けていました。

 それでサムエルはベツレヘムに会食の席を用意し、エッサイと息子たちを招待するのです。彼らが姿を現すと、すぐに目に留まる立派な若者がいました。長男エリアブです。サムエルは、この若者こそ主が選ばれた人だと思います。

 主は心を見る

 しかし、主の答えは違いました。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」

 主は心を見る! とても大切な真理です。人には四つの自分があるという話を聞いたことがあります。

 @自分も他人も知っている自分。 
 A他人は知っているが、自分は気づいていない自分。
 B自分だけが知っている自分。
 C自分にも分からない自分。

 どこに光を当てるかで、浮かび上がってくる自分の姿が違ってくるのです。

 主は心によって人を見ます。容姿、背の高さ、年齢ではありません。家柄、財産、学歴、職種でもなければ、性格、能力、経験でもありません。それらのものは「人の目に映る自分」であり、自分の表面に過ぎません。

 主がご覧になるのは、自分の本質部分である心です。心とは、人の目に映ることのない「自分だけが知っている自分」、「自分にも分からない自分」です。

 人を判断する目

 サムエルは、自分の目にどう映るかではなく、主の目にどう映るかこそ大事であることを学びました。そして、それを知るためには自分の目は不確かで、謙遜になって主のご判断を仰ぐことしかないということを知ったのです。

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